県指定文化財
◆吹浦遺跡/指定日:昭和28年5月25日、所在地:吹浦堂屋台地
吹浦遺跡は、吹浦駅より南東約5分、鳥海山西南裾の舌状台地にある。大正8年(1919)に初めて発見され、道路工事のため昭和26年より28年までの間、四次にわたって発掘調査が行われた。遺物として石器・骨角器・土器の他に、海獣の骨、鹿の角、貝殻等の当時の食糧としたものが多く出土した。土器の形や文様に特色があり、吹浦式土器と呼ばれている。東北北部の円筒土器系の文化と、東北南部の大木文化とが融合折衷した土器であると考えられる。縄文前期末の遺跡として注目される貴重な遺跡である。出土した遺物は、鶴岡市の致道博物館に所蔵、陳列されている。
町指定文化財
◆神矢田遺跡/指定日:昭和49年10月1日、所在地:高瀬畑(神矢田)
神矢田という地名は、石鏃(神矢根)を多出する水田という意味である。昭和45年5月から同46年11月に至る間、遊佐町教育委員会によって、五次に亘る発掘調査が行われた。縄文中期末から弥生初頭に至る約二千年間の複合遺跡である。特に遺物の名にふさわしく、石鏃の数は表面採取のものも含めれば、千点にものぼる。また、土器の編年について、貴重な資料を得られた。遺構(住居跡)は4ヵ所あり、各時代の生活を究明する上で、得難い資料となった。なお遺物は、遊佐町教育委員会で管理している。
◆大楯遺跡/指定日:平成7年6月22日、所在地:小原田字大楯
大楯遺跡は、昭和48年に庄内広域営農団地農道整備事業にかかる分布調査で明らかになり、昭和51・52年の遺跡確認調査により、「大楯遺跡」と命名された。柵木列や土壙の検出、中世陶器や青白磁が出土し、中世鎌倉時代の城館跡であることが明らかになった。中世鎌倉時代の遺跡は県内でも少なく、貴重な遺跡である。中でも石組遺構と礎石を伴う建物跡や掘立柱建物跡などが検出され、これらの構造を持つ遺跡は、県内では類のないものである。
この大楯遺跡は地方の豪族が構えた城館跡と、それを取りまく集落跡と考えられ、本町における歴史解明にも大きな役割を果たすものである。
◆蚕桑の養蚕長屋跡/指定日:平成15年3月25日、所有者:遊佐町蚕桑
近世中期以降、各藩は財政逼迫し、その打開策として大規模な開墾・干拓事業を行うとともに、諸産業を奨励した。藩命によって庄内藩士白井弥平が、下野に養蚕館を創設したのは、文政2年(1819)のことである。養蚕館は行間50間、梁間7~8間、3階造りという建物であった。桑畑は、この下野に31町5反あったといわれ、養蚕から糸つむぎ、機織まで一貫した仕事が行われた。養蚕館のことを記述した江戸時代の紀行文『遊佐細見往来』(1831)と『胡蝶日記』(1838、白井千代梅著)には、養蚕の繁盛ぶりが記録されている。庄内藩の歴史の中でも産業史は重要な一分野であり、当地の養蚕がその一翼を担っていたことは、貴重なことである。
◆蚕桑の御霊屋/指定日:平成15年3月25日、所有者:遊佐吉出 佐々木家
鳥海山麓の一集落蚕桑は庄内藩と極めて関係が深く、藩校「致道館」の学田として開発された白井新田とも程遠くない。この地において白井弥平は養蚕業を興しながら、致道館の学問を村人に奨励し、教化につとめた。地元の佐々木基輝と藩士の佐藤和惣治は、弥平の協力者として蚕桑部落の振興に貢献した。蚕桑から北へ約200m静かな森の中に三氏(弥平・基輝・和惣治)を追慕して、村人が「みたまや」と称する三基の石碑を建て、その霊を祀っている。蚕桑の養蚕長屋跡とあわせ、新田開発の貴重な史跡である。
