天保11年(1840)11月7日、一頭の早馬が鶴岡城へ走りこんできました。
その知らせは、徳川幕府の命令によって、庄内藩主(酒井家十代目忠器)を越後長岡へ転封させるという、思ってもみない伝達でした。このニュースは、瞬く間に庄内全体に伝えられ、武士だけでなく農民達にとっても大きな驚きで、大騒ぎとなりました。
庄内藩は長岡藩へ・長岡藩は川越藩へ・川越藩は庄内藩へという三大名同時の三方国替えであったのです。
この時の庄内藩の殿様は、忠器公(十代目)は名君の声が高く、農民に慕われていた殿様であり、何も悪いことはしていません。「おらだの殿様をどうして長岡へ移さなければならないのか。」庄内の人たちにとっては絶対に従うことが出来ない命令だったのです。
庄内20万人の農民が立ち上がります。リーダーの中心として活躍したひとりに、玉龍寺(稲川・江地)の和尚であった、文隣和尚(1800~1863)がおりました。
このような時代での幕府に対しての反対運動は難しかったし問題も多かったのですが、恐れることなく江戸に向かい「直訴」を繰り返しました。
ついに幕府は裁判で国替えの問題を取り上げられることになります。その裁判で遊佐町升川出身の佐藤藤佐は、堂々とこの国替えの間違いをその裁判で述べました。居並ぶ幕府の役人達の共感を得る素晴らしいものでした。
「国替えするに及ばず」との将軍家慶の一声が下されました。江戸幕府約300年の歴史の中で、一度命令を下したものを取り消すということは今まで一度も無かったことで、庄内農民の一致団結した殿様を慕う熱い心が、幕府を動かした九ヶ月間の戦いでした。
現在、玉龍寺では毎年7月16日にこれらの素晴らしい活動と偉業を讃え、感謝する祭典として法要・講話や地元の婦人会の「居すわり西瓜」「稲荷大明神」の舞が行われています。
開催日 | 毎年7月16日 |
---|---|
開催場所 | 玉龍寺 |
開催時間 | 10:00~ |
料金 | 見学無料 |
内容 | 庄内の国替えを農民と一緒に反対運動の中心的な活躍によって中止させた文隣和尚を慕い、感謝の気持ちをささげるための祭。 |
お問合せ | 遊佐町役場総務課総務係 電話:0234-72-5880 FAX:0234-72-3310 |