佐藤政養(1821~1877)-小さい頃の名は与之助といい、遊佐町升川に文政4年(1821)佐藤与兵衛の十人兄弟の長男として生まれました。
与之助は、機転のきく子供であったし、何かをやると決めたら粘り強く最後までやり通す根性を持っていました。
それを見込んだ父は、酒田の医者、伊藤鳳山と真島佐藤治のところで勉強させました。
33歳の夏、与之助は伊藤鳳山先生から強く勧められ江戸へ出ることにしました。
アメリカの黒船が横浜にやってきたのもこの頃です。
幕府が、神奈川に新しい港を造ろうとした時、与之助は自分の学問を生かし色んな調査をした結果、横浜がもっとも適当だという意見を出し、勝海舟らの賛成によって横浜港が造られることになりました。(横浜港の生みの親)
明治維新(1868)の後、日本の政治はヨーロッパやアメリカの文明の開けた国々を目標にして世の中は変わっていきました。
与之助は政養(まさよし)と名を改め、政府の役人となります。
文明開化のためには貿易や鉄道がどのように大切であるかを主張しました。
そして明治5年(1872)10月14日午前10時、日本で初めて東京(新橋)から横浜までの列車を走らせることに成功したのです。
2年後は、大阪から神戸を結ぶ鉄道も開通させ、日本国内の鉄道は次第に長く大きく延びていきました。
正に、政養は鉄道の生みの親であったのです。政養の人柄は穏やかであり、計画などはしっかりと行き届いていて、文章も立派で更に剣をとっても坂本龍馬に引けを取らない剣豪であったそうです。
明治10年(1877)、政養は56歳で亡くなりますがその功績は大きく、毎年10月14日(鉄道記念日)吹浦駅前の銅像前で偉業を讃える祭が開催されています。
開催日 | 毎年10月14日 |
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開催場所 | JR吹浦駅 |
開催時間 | 10:00~ |
料金 | 見学無料 |
内容 | 鉄道の生みの親、東京(新橋)~横浜間に第一号の列車を走らせた佐藤政養を慕い、感謝の気持ちをささげるための祭。 |
お問合せ | 遊佐町役場総務課総務係 電話:0234-72-5880 FAX:0234-72-3310 |