もともと庄内砂丘には、森林がうっそうと茂っていましたが、戦国時代の終わり頃、鶴岡の武藤氏と近くの大名と争ったために、庄内は戦場となって森林が焼き払われたり、塩づくりのための燃料として多くの木が切られ、庄内砂丘は木のない砂丘となり荒れ果ててしまいました。
そのために、北風の強い日には砂が飛び、米を運ぶための川や、田畑が埋まってしまい船の運航が出来なくなったり、米や野菜の収穫がない、それに、日向川の河口も埋まり、船の出入りが出来なくなっただけでなく、川の水が流れず洪水を引き起こしたりして、多くの人々は、大きな被害と苦しみの中での生活に追いやられてしまいました。
そこで庄内藩では、砂の害を止め砂丘に木を植えて、多くの人々を苦しみから救ってくれるような人を探していました。そのことを聞いた藤左衛門(藤蔵の父)親子が、このような状態から救うために名乗り出ました。
藤左衛門親子は、延享3年(1746)植林の作業に取りかかります。ヤナギ・ネムノ木・フジ・クロマツ・ツツジ・サンショウなど多くの種類の種や苗木を植え付けてみました。しかし、作業は困難を極めます。ひとたび強風が吹き付けると、苗木はほとんど吹き飛ばされたり、砂に埋もれてしまい、全く何も残ってない有様であったのです。
宝暦2年(1752)藤左衛門は植林の半ばで倒れ、息子の藤蔵に植林の夢を託して死去します。藤蔵は父の無念を晴らすべく、一層の情熱を植林へ傾けていきました。
その結果、少しずつ砂丘の海辺に緑が蘇ってきます。「クロマツ」の成長と共に、藤崎村の農民も24戸となり飛び砂も止まり、農民の生活にも平和と豊かさが戻ってきたのです。
藤左衛門親子の30年に及ぶ戦いでしたが、遊佐町菅野の曽根原六蔵もその一人であり、その一族は84年間に452万本の苗木を西浜一帯に植林しています。
寛政9年(1797)藤蔵は85歳の一生を終えましたが、上藤崎の松林に囲まれた場所に眠っており、一生を砂丘の植林に捧げたその偉業を讃えて毎年11月10日を藤蔵祭として行われています。
開催日 | 毎年11月10日 |
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開催場所 | 西遊佐まちづくりセンター |
開催時間 | 10:00~ |
料金 | 見学無料 |
内容 | 西浜砂丘の荒地に黒松の植林に努力、田畑や農家の生活を救った佐藤藤蔵を慕い、感謝の気持ちをささげるための祭。 |
お問合せ | 遊佐町役場総務課総務係 電話:0234-72-5880 FAX:0234-72-3310 |