所蔵:東京国立博物館 長さ26cm 幅3.2cm 厚さ8mm
吹浦地区の三崎山から出土しました。日本列島において最古級の金属器であり、大陸との交流を考える上で極めて貴重な文化財と言えます。
約3,000年も前に中国大陸で製作されたと思われる青銅刀子が、どのようにして遊佐町にたどりついたのでしょうか。
現在レプリカが遊佐町防災センターで常設展示されています。
平成18(2006)年3月発行 遊佐町の文化財(遊佐町教育委員会)より ※一部修正、西暦は加筆
青銅刀子は昭和29(1954)年晩秋、遊佐町三崎山で採石作業中に出土した。その後、致道博物館や山形大学柏倉亮吉教授などが出土地周辺(三崎山A遺跡)を調査し、縄文土器やシカ骨などが確認された。学会に報告されるや、「中国から渡来した日本最古の青銅刀子」と話題をよんだ。国の重要な文化財として買い上げられ、現在は東京国立博物館に収蔵されている。日本がまだ縄文時代後期のころ、大陸の青銅文化が鳥海山麓三崎山にどのようにして渡来したのだろうか。刀子は、中国・シベリアなどでの出土例も報告されている「オルドス型」である。
昭和62(1987)年にソ連の学者グループが現地を踏査するなど国際的な研究もなされ、平成13(2001)年に東京文化財研究所が行った分析の結果、中国商時代の特に殷墟(いんきょ)出土の青銅器と同じ鉛の成分率であると報告された。日本列島での金属器文化渡来を考える上で重要な資料である。
写真はこちら(東京国立博物館)